1. Home > 
  2. 日本鍼灸師会について > 
  3. 日鍼会50周年記念誌 > 
  4. 日本鍼灸師会50年の歩み > その9

日本鍼灸師会50年の歩み その9

(89ページから100ページ(最後)まで)

厚生省のホームページと連合会の設立総会:

 年が改まって、平成12年1月18日、政府のホームページに厚生省関係として、全鍼師会、日鍼会から出されている「同意書(診断書)の撤廃」の要望について措置困難という現在の状況が掲載された。

 また、その2日後の平成12年1月20日、自由民主党本部で連合会の設立総会が開催され、案内状の発送から開催まで時間的に余裕がない急な開催であったにも関わらず出席者が約80名参加し、予想より多かったため急遽会場を変更したほどであった。

厚生省所管行政に係る規制緩和要望及びその検討状況
報道資料発表 HOME 本文目次 前ページ 次ページ
【様式】【厚生省】
(1)分 野 13医療・福祉関係
(3)保険・年金
(2)意見・要望提出者 全日本鍼灸マッサージ師会、日本鍼灸師会
(3)項 目 はり・きゅう同意書(診断書)について
(4)意見・要望等の内容 「あんま、はり灸にかかる療養費について」(昭和25年保発第4号厚生省保険局長通知)に基づく同意書(診断書)の撤廃
(5)関係法令 なし (6)共管 なし
(7)制度の概要 はり、きゅうに係る療養費の支給申請に当たっては、医師の同意書又は診断書の添付を要することとしている。
(8)計画等における記載 該当なし
(9)状 況 □措置済・措置予定□検討中■措置困難□その他
(実施(予定)時期:)
(説明)
○ はり・きゅうに係る療養費の支給対象となる疾患の多くは、いわゆる外傷性の疾患ではなく、発生原因が不明確で、治療に長時間を要するものが多いこと、治療と疲労回復等との境界が明確でないこと等の理由で、医師の同意書又は診断書の添付を療養費支給の要件としているもの。
○ はり・きゅうに関しては、施術の手段・方式や成績判定基準が明確でないため客観的な治療効果の判定が困難であること、治療と疲労回復等との境界が明確でないこと等から、医師の同意書(診断書)なく療養費を支給する仕組みとすることは困難。
(10)担当局課室名 保険局医療課

http://www.mhw.go.jp/search/docj/houdou/1201/h0118-3_4/h0118-158.html

※上記のアドレスは平成12年当時のものです。
現在の掲載先(別ウィンドウで開きます):http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1201/h0118-3_4/h0118-158.html

新議員連盟「鍼灸マッサージを考える会」発起人会開催:

 その後、同意書(診断書撤廃運動は積極的に推進することができない状態が続いていたが、平成12年4月12日、主に自由民主党の社会部会に関係する議員の先生方が中心となって自民党本部において「鍼灸マッサージを考える会」という会合を持たれた。

 その会合で、鍼灸マッサージに関する窓口はこの議員連盟一本に絞って行くことにする。また、介護保険の実施に向けて作られた「鍼灸マッサージ対策議員連盟」は消滅させ、これに変わる新しい議員連盟を立ち上げ、これを唯一の窓口にする。という話し合いが持たれたという。

「鍼灸マッサージを考える会」新議員連盟の立ち上げ式開催:

 次いで平成12年5月18日、「鍼灸マッサージを考える会」の議員連盟の立ち上げ式があり、日鍼会、全鍼師会、日盲連、日マ会、及び全病理の代表者が招かれ、業界側の要望を話す機会が与えられた。そこで、前日4団体の代表が協議したことを要望することになり、藤井全鍼師会会長が療養費の支給期間と回数制限の撤廃を要望し、井口日鍼会会長は同意書(診断書)の撤廃は我々の悲願であるから将来に亘っても唱え続けて行きたいので、その点はご理解いただきたい旨を述べた後、同意書(診断書)が出易くなるような規則、通達を出していただきたいと要望した。

 これに対し、議員の先生方の反応は、期間、回数の制限撤廃には一定の理解を示されたようだが、同意書(診断書)が出易くなるような規則の改正や通達を出すことに対しては医師会との兼合いがあり、かえって皆さんが苦しい立場に追い込まれることになり兼ねないのでもう一度皆さんでよく考えてみる必要がある。ということであった。

井口会長、「同意書(診断書)撤廃等の運動の転換について」の文書を発送:

 平成12年5月22日、井口会長は、役員、各都道府県師会長、代議員宛に「同意書(診断書撤廃等の運動の転換について」の文書を発送した。

 その中で5月18日に開催された「鍼灸マッサージを考える会」の議員連盟の立ち上げ式の模様を詳しく報告し、同意書問題に関しては、撤廃でなくワンランク落とした「改善を望んだだけでも、医者にも鍼灸が出来るようにしてやらないと不可能だ。」との見解を聞かされた、これは誠に重大な見解であり、我々はもう一度初心に戻って運動方針を検討する必要がある。と報告した。

同意書撤廃運動一時凍結を協議:

 平成12年5月27日、明日に控えた理事会及び代議員会に向けて、役員連絡会のメンバーと健保対策委員長、副委員長会議を開催し、月18日に開催された「鍼灸マッサージを考える会」の議員連盟での内容を検討し、どのように対応するか協議した。

 その結果、「鍼灸マッサージを考える会」の議員連盟の感触では「同意書(診断書を出やすくするだけでも医者にも鍼灸が出来るようにしてやらないと不可能だ。」とのことなので、このまま同意書(診断書)の撤廃に向けて運動を進めると、保険医療機関での鍼灸治療を認めさせられる危険性がある。故に、苦渋な決断であるがまず第一に保険医療機関での鍼灸の取扱いには断固反対することを確認し、その上で同意書(診断書)撤廃運動は一時凍結することを確認する。この方向で明日の理事会及び代議員会に臨むことを決定した。

平成12年度代議員会・総会で同意書(診断書)撤廃運動の凍結を承認:

 平成12年月28日、ホテルベルクラシック東京で平成12年度代議員会が開催された。

 この代議員会では高橋清人議長、梶間育郎副議長により、第1号議案から第10号議案まで審議され、いずれも提案通り可決承認された。

 特に第10号議案で提案された「同意書、診断書撤廃運動の件」では、井口会長が、(前略)残念なことでありますが同意書、診断書問題は一応凍結せざるを得なくなりました。しかし、ただ凍結だけではなくそこに付言して欲しいという中原健保対策委員長からの要望もあり、私もそれに何ら異議をはさむこともございませんので、次のような付言をつけて凍結ということにしたいと思います。

 それは開業鍼灸師の生活権が脅かされるような状態になる保険医療機関での鍼灸の取扱いには断固反対するという基本姿勢を日鍼会は確立していく。そういうことを付言した上で同意書、診断書撤廃運動は一応凍結するということを(理事会で)決議いたしました。(後略)午前中の理事会において決定された事項をここにご報告申し上げて皆さんのご質疑を受け、且つご承認をいただきたい。と提案し、質疑応答の後、承認された。

●まとめと将来展望

 冒頭に記したように創立時に日本鍼灸師会が掲げた基本方針は、(1)社団法人としての鍼灸師の強固な団結、(2)身分法の改正、(3)教育機関の整備、(4)保険取扱いの獲得、(5)鍼灸の科学化、の5項目であった。

平成12年度総会で同意書(診断書)撤廃運動の凍結を承認:

 翌平成12年5月29日、赤坂プリンスホテルで開催された平成12年度総会で、第10号議案の同意書(診断書撤廃運動の凍結を含む第1号議案から第10号議案までの議案が審議され、いずれも提案通り可決承認された。

 午後からは同赤坂プリンスホテルで多数の来賓、関係者を招いて日本鍼灸師会創立50周年記念式典が盛大に開催され、記念の祝賀会も多数の参加者を得て華やかに挙行された。

 以来、日本鍼灸師会は歴代会長をはじめ、役員が一丸となってこの目標に向かって邁進し、50年の風雪を経た現在では鍼灸医学は長足の進歩発展を遂げた。

 教育機関の整備については、明治鍼灸大学を筆頭に各地に多数の鍼灸専門学校が設立され、鍼灸大学のパイオニアである明治鍼灸大学には修士課程とともに博士課程の大学院が設置され、すでに鍼灸学博士が誕生している。

 思えば、国宝「医心方」の著者として有名な鍼博士丹波康頼から数えて実に千年ぶりに鍼灸学博士が復活したのである。これ偏に教育機関の整備と鍼灸師の資質の向上のために夢と情熱を傾けた歴代会長のご尽力の賜ものであり、とりわけ学校法人明治東洋医学院の理事長時代に大学開学に向けて奮闘努力された谷口健藏元会長の功績は大きい。

 一方、鍼灸の科学化については、本会が昭和26年に設立した日本鍼灸治療学会、あるいはそれを発展的に合併改組し、昭和56年に設立した社団法人全日本鍼灸学会をはじめ、明治鍼灸大学、関西鍼灸短期大学、筑波技術短期大学のみならず多くの国公立大学医学部や付属病院でも高度な鍼灸の研究が盛んに進められ、50年前とは比較にならないほどの膨大な科学的なデータとしっかりとした論文が蓄積されている。

 それは単に日本国内だけではなく、昭和40年に東京で開催した第1回国際鍼灸世界大会には19ケ国、同じく昭和52年に開催した第5回国際鍼灸世界大会には世界の32ケ国から鍼灸研究者が来日し、学会に参加していることからでも窺い知ることができる。

 また、昭和61年に日本並びに中国がリーダーシップをとって世界各国の鍼灸学会を統合する世界鍼灸学会連合会(WFAS)を設立したが、このWFASには世界49の国と地域から74団体が加盟しており、平成9年にWFASが北京で開催した国際シンポジウムには96の国と地域の研究者が参加している。このことは鍼灸の科学的な研究は今や世界的な規模で強力に展開されているといえる。

 世界保健機関(WHO)では、昭和54年にすでに鍼灸の適応47疾患のリストを発表し、昭和56年からは経絡や経穴の国際統一基準化に着手している。その後、鍼用語の統一基準、鍼灸の安全性を高めるためのガイドラインの作成などを行って鍼灸の科学化と普及に貢献している。

 WHOがこのような地道な活動を通して世界各国で鍼灸を活用し易いよう支援している意義は大きい。

 日鍼会はこのように、大きな観点からみれば鍼灸学会を組織し、それを育て、世界的規模にまで発展させる一翼を担った。

 会員への資質の向上については、昭和28年から厚生省後援の学術講習会を開催し、その時々の一流講師を迎えて医学の最新情報と同時に鍼灸臨床の知識と臨床技術を学ぶ環境を継続して保っていることは注目に値する。

 また、鍼灸の安全性確保のために不適応疾患の除外、消毒、滅菌等感染防止対策、あるいは鍼灸の一般臨床に多く取扱う疾患の病態把握、鑑別のための検査法などを主目的とした鍼灸臨床指導者研修会を開催して、全国に鍼灸臨床指導者を育成して伝達講習を実施するなど会員の資質向上に努めていることも日鍼会の大きな業績である。

 さらに鍼灸師の生涯学習として専門領域研修制度を立ち上げ、またその研究発表の場として日本鍼灸師会臨床学術大会を開催していることも日鍼会の実績の一つとして数えられるであろう。

 このように鍼灸の科学化と鍼灸師自らの資質向上を目指して初代会長の樋口鉞之助氏をはじめ、歴代の会長は営々とその基本方針を受け継ぎ努力してきた。中でも鍼灸臨床を通しての鍼灸の科学化、学会の設立と育成、鍼灸の国際化については岡部素道、木下晴都の両会長、及びそれをサポートした黒須幸男副会長の功績は大きい。

 特に木下会長は日鍼会の会長職という激務をこなしながら、鍼灸臨床の研究、それに昭和大学での基礎的研究を行い、超人的な努力により医学博士号まで取得されたことは心から敬意を表する次第である。

 ただ、日本鍼灸師会が未だ十分に成し得なかったことは、鍼灸の保険取扱いの確立と鍼灸師の確固とした身分法の制定である。

 昭和63年に法律第71号により、40年ぶりに法律の一部が改正され、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の学校または養成施設の入学資格をそれぞれ大学入学資格とすること、また、修業年限も3年以上に改め、資格取得試験も厚生大臣の行う国家試験に、免許権者も厚生大臣にそれぞれ改正された。

 このことは鍼灸師の資質の向上に大きな一歩を進めることができ、大変有り難いことであった。

 この法律改正に当っては、鍼灸関連7団体が小異を捨て大同団結できたことが何よりも重要なポイントであり、この7団体の関係者の一致協力があったればこそこの度の法律改正ができたのである。

 この協力のもとに小川晴通会長は東洋療法研修試験財団設立準備委員会委員長として国会議員や厚生省との折衝、財団基金の拠出等、多くの困難を乗り越えてついに法律改正を達成することが出来た。法律改正における小川晴通会長の果たされた功績は非常に大きい。

 しかし、これをもって終着駅としてはならない。今回の法改正は鍼灸師の資質向上の第一歩であり、これを基礎に更に高度な鍼灸師の身分法の確立をしなければならない。あん摩マッサージ指圧には、あん摩マッサージ指圧の良さがあり、特性もある。また、鍼灸には鍼灸の良さと特性がある。それぞれの独自性を伸ばし、適材適所に活躍できる法律を確立すべきである。

 巷に鍼灸のことを医業類似行為と呼称し、鍼灸師自身もそのように認識している向きも一部にあるが、社会保険研究所発行、厚生省保険局医療課監修の「療養費支給基準」平成10年7月版162頁に、あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法第5条にある施術を業として行うことは法理論上医師法第17条に(規定する)所謂「医業」の一部と看做される。あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法第1条の規定は、医師法第17条に対する特別法的規定である。(大意)と医収(昭和25年2月16日)第97号での厚生省医務局長による回答が掲載されている。

 また、仙台高裁の判決(昭和29年6月29日)で、医業類似行為とは「疾病の治療又は保健の目的を以て光線器械、器具その他の物を使用し若しくは応用し、又は四肢若しくは精神作用を利用して施術する行為であって、他の法令において認められた資格を有するものが、その範囲内でなす診療又は施術でないもの」、換言すれば「疾病の治療又は保健の目的でする行為であって医師、歯科医師、あん摩師、はり師、きゅう師又は柔道整復師等の法令で正式にその資格を認められた者が、その業務としてする行為でないもの」とはっきり示されている。

 我々はり師、きゅう師は法律により規定された厚生大臣免許を以てはり、きゅうを業とする者であって医業類似行為者ではないという気概を持つべきである。そして、はり、きゅう業は「疾病の治療又は保健の目的ではり、きゅう施術を行い、はり師、きゅう師の専門的判断及び技術をもってするのでなければ、人の健康に危害を及ぼす恐れのある行為」であって、医師法第17条に規定する医業の一部を特別に部分解除された専門職であるという自覚と責任感を持つべきである。

 この重責を担った鍼灸師は、鍼灸の長所と独自性を十分社会に発揮できるよう、医師、歯科医師に続く鍼灸師法の制定を目指さなくてはならない。

 保険取扱いについては、鍼灸の保険取扱いを実質的に取り扱わせない方針とされた昭和25年1月19日の保発第4号厚生省保険局長通知との戦いの歴史であった。

 先輩各位は根気よく、粘り強く、幾度となく打ちのめされながらも国民に鍼灸を受け易くするには鍼灸師の保険取扱いが是非とも必要として、胸に燃えるがごとき情熱を秘めて歯をくいしばって頑張った。中でも相川勝六、花田伝、岡部素道の歴代会長はこれを覆すために最大限の努力をされた。

 そして、昭和34年3月24日、長野市で開催された第51回全国保険課(部)長事務打合会の席上で、昭和25年の保発第4号厚生省保険局長通知は、「支給を禁止する通諜ではなく、あたかも現物給付と同じような取扱いをすることはこれを廃止させ、療養費払いの姿に変えるようにし、請求書には医師の同意書を添付させるようにして、支給の適正を図ったものである。」との口頭通達をしてもらうことに成功した。この口頭通達まで実に9年の歳月を要している。

 翌昭和35年3月に鍼灸の保険取扱い適用基準の概略が示され、再度全国保険課長及び技官会議の席上において口頭により指示された。その主旨は、医師が診断した上で鍼灸治療を同意した神経痛、リウマチ等の疾患に適用するというものであった。

 昭和36年に至り、初めて照会に回答する形で内簡示達により鍼灸料金が示され、神経痛、リウマチの2疾患に10回を限度として療養費を支給することが認められた。

 昭和40年には諸々の運動が実り、3ケ月35回まで支給期間と回数が延長され、昭和42年に至り、今まで書簡や内簡でしか示達されていなかったものが初めて厚生省保険局長通知をもって通達された。支給対象疾患も、神経痛、リウマチの2疾患から、これら疾病と同一範ちゅうと認められる類症疾患の頚腕症候群、五十肩、腰痛症など慢性的な疼痛を主症とする疾患が認められた。また、同意書に代えて診断書でもよい、はり、きゅうの往療料の支給などについても認められた。

 一方、医師の同意書の発行条件については医師による適当な治療手段のないものとされ、微妙に変化した。

 この後、昭和46年に支給対象疾患は慢性病であるが、慢性期に至らなくてもよい。あるいは医師の同意書または診断書は記名押印にかえて署名でも差し支えない等の一部緩和が示されたが、一方では、同意書の発行条件が一変し、「保険医療機関における療養の給付を受けても所期の効果の得られなかったもの又はいままで受けた治療の経過からみて治療効果があらわれていないと判断された場合」ということになり、実質的に保険医療機関で治療しても治らない疾患で医師がそれを認めて同意したものでなくてはならないとされたので、同意書は更に医師が書きにくいものになってしまった。

 この間、日鍼会、全鍼連が保険推進のために昭和33年に設立した日保会が中心となって、3団体協調で保険運動を進めてきたが、昭和47年に至り、日鍼会の木下晴都会長は鍼灸独自の保険取扱いの確立を目指して猛運動を展開し、今までマッサージと関連していた鍼灸料金を鍼灸独自の料金算定の確立に成功した。そのお蔭で鍼灸の料金は一挙に3倍となり、初回料金の新設、3ケ月35回から、6ケ月65回に支給期間と回数も延長された。この木下会長の英断とそれを支えて東奔西走した当時の保険部長であった井垣博夫氏の功績は大きい。

 また、昭和50年には、日鍼会の木下会長、井垣保険部長、全鍼連の永井会長などが中心となって全国47都道府県すべてが参加し、保険取扱い者1万余名の会員を擁する健保問題推進のための日保連が設立された。

 昭和52年には日保連の強力な運動により、厚生省から団体協定の方針が示されたのを受けて、同年2月16日、国会内において日鍼会の木下会長、全鍼連の永井会長、丸茂参議院議員、三浦厚生省保険局医療課長が協定対応の業界体制について話し合い、鍼灸師会とマッサージ師会の2大法人を作り、その育成と協調のために全日本鍼灸マッサージ師会連盟を作って円滑に保険取扱いを進めることが約束された。そしてこの体制で行えば保険協定は可能という厚生省が中に入っての約束であったので日鍼会、全鍼連はともに、この組織体制実現のために最大限の努力をすることになった。

 しかし、この約束も昭和52年5月8日・9日の両日に開催された全鍼連の総会で否決され実施できなくなってしまったことは誠に残念でならない。

 昭和58年からは老人保健が適用され、老人保健については3ケ月後の同意書は実際に医師から同意を得ているものについては、必ずしも添付をしなくてもよくなった。

 昭和59年6月、果敢な活動を展開して少なくても3度の協定チャンスを掴みながら複雑な業界事情によってそれを逃し、日保連は目的を全うすることができず解散した。そして同年12月、日保連解散後の協調体制として健保推進団体協議会が発足した。

 昭和61年には、小川晴通会長の決断により日鍼会単独の保険特別運動を推進することになり、その結果、同意書取扱いを容易にする同意書の様式の制定、及び健康保険についても、老人保健の3ケ月後の同意書の取扱いと同様な扱いになった。

 36年間かかってほぼ現在の取扱いになっているが、その後、現在に至るまでの14年間は同意書、診断書の様式改正などがあったものの基本的には大きな改正がないままである。その内唯一の改正といえば、平成9年12月1日の保険発第150号通知である。これは同意書の発行条件は、原則として「保険医療機関における療養の給付を受けても所期の効果の得られなかったもの又はいままで受けた治療の経過からみて治療効果があらわれていないと判断された場合」のままであるが、通知に示された対象疾患について保険医より同意書の交付を受けて施術を受けた場合は、本要件を満たしているものとして療養費の支給対象として差し支えないこと、とされたことである。この通知は保険取扱い実務面での意義は大きい。

 しかし、現在でも鍼灸の保険支給対象となる疾患は、「慢性病であって保険医療機関における療養の給付を受けても所期の効果の得られなかったもの又はいままで受けた治療の経過からみて治療効果があらわれていないと判断されたもの」であり、主として「神経痛、リウマチ」であり、その類症疾患として「頚腕症候群、五十肩、腰痛症、頚椎捻挫後遺症等の慢性的な疼痛を主症とする疾患」で、医師の同意書を得たものに限ることが支給要件であることには変わりがない。

 支給期間も保険医療機関、柔道整復、マッサージには制限が加えられていないが、鍼灸の取扱いだけに6ケ月65回という期間と回数制限が加えられている。

 また、保険医療機関や柔道整復は一部負担金だけ患者が支払えば治療を受けられる制度になっているが、鍼灸は全額患者が立て替えて支払い、後から償還される制度になっているので患者にとって二重、三重に鍼灸治療が受けにくい制度になっている。

 そして、鍼灸の保険取扱いは制度的に他の保険取扱いと比べて大きな差別がされたままになっていることには変わりがない。

 それのみか、最近の6〜7年では保険取扱いの改善どころか鍼灸の保険取扱いを脅かす諸々の動きが続出し、四囲の情勢が激変している。

 平成5年1月、健保推進協議会でNTT共済等、3共済の交渉が決裂し、それぞれ独自に推進することになったので、日鍼会の谷口健藏会長は宮崎県の中原嘉彦会長にJRとJT共済の協定を進めるよう依頼した。中原氏は早速JR共済と話を進めるため東京に泊り込み猛烈な運動を展開した。そして2週間のうちにJR共済と文書による協定を結ぶところまで話しを進め、同年2月19日に日鍼会とJR共済と受領委任に関する文書を取り交わすことが決まった。また、JT共済もそれにならって取扱いをすることになっていた。しかし、宿命的な業界のエゴからこれを業界人自らが潰してしまった。

 平成7年12月には再度JT共済と交渉し、暮れの12月28日まで東京に泊まり込んで一度は壊れた話しであるが復活させることに成功し、JT共済担当者は日鍼会と単独で協定書を交わして取扱いをしたいとまで言ってくださった。しかし、これも実らず、2度にわたり協定をとり、そして潰されたことは何とも言いようがない寂しさを覚える。もし、この時にJR、JT共済の協定がそのまま実施されていたならば現在の保険取扱いの情勢とその運動は全く変わった形になっていたであろう。

 その後、平成8年1月の健保対策委員会で日鍼会の健保推進基本方針から団体協定や委任払いを外す提案が突然出され、それを「委任払いの推進」から「支払制度の確立」へ、「団体協定の締結」から「新機構の設定」に表現を変えるが、その精神は変えないということでやっと凌いだ。

 それが一段落ついた後、保険医療機関における医師の治療を受けても治らなかったという原則的なことを記載した診断書の改正案、あるいはその改正案の一部改正案が厚生省から提案され、不可解なことであるが一部にそれを受け入れようとした。

 その後引き続いて頚椎捻挫後遺症が加わった時に「等」の字が外されて6疾患に限定されてしまった。また、平成11年7月には日本医事新報に保険医療機関での鍼灸の取扱いに対して、リハビリテーション科を標榜して鍼灸師を雇用して行えば鍼灸は自費でも保険診療でも保険医療機関で出来るとの記事の掲載、つい最近では混合診療に関する話題、あるいは鍼灸マッサージを考える会での併行治療のルール作りの検討など、鍼灸師の保険取扱いの現状は容易ならざる状況に追い込まれている。

 これらの流れの中で今まで明かにされていないが、宮崎県鍼灸師会会長の中原嘉彦氏が果たした役割は大きい。

 中原氏については、先にJR共済、JT共済との文書による協定を取り交わすところまで成功したことを初めて記したが、それだけでなく健保に関して常に真剣に取り組み、この一連の動きに対しても鍼灸の保険取扱いを守るためマイナスになることに対しては必死に守った。

 平成8年の診断書改悪のときには、これが通れば同意書にも悪影響を及ぼし取扱いが更に出来なくなることを危惧してこれを阻止し、「等」が外されたときには「等」の復活に八方手を尽くしてこれを復活させた。

 普通ならば、一旦厚生省保険局長から知事宛に出された文書を訂正することは至難の業であるが、必死の努力の結果、幸いにも厚生省が適正な対応をして下さり、平成年5月24日付保発第64号の「頚椎捻挫後遺症」を「頚椎捻挫後遺症等」に訂正する文書を各都道府県に通知し直していただいた。このことにより鍼灸の適用範囲の縮小を食い止めることができ、同時に拡大の余地を確保できたその意義は非常に大きい。

 平成10年には、介護保険の介護支援専門員(ケアーマネージャー)の受講試験対象者に鍼灸師が入れるように運動をして加えることに成功した。

 また、平成11年7月の日本医事新報の記事にも即座に対応し、厚生省保険局医療課から「この部分については記事の内容に誤りがあること、及び厚生省から日本医事新報社に対して、記事の誤りを伝えるともに、訂正の記事を近々同誌に掲載するよう話している」との回答を文書で得ることができた。そして、平成11年8月28日発行の日本医事新報第3931号で厚生省からの回答通り訂正文が掲載された。厚生省並びに日本医事新報社のす速い対応に心から感謝したい。これら一連の中原氏が果した役割は特筆すべきもので、窮地に追い込まれた鍼灸師の保険取扱いを後退せぬよう必死に守り続けた功績は大きい。

 もし、あの原則を貫いた診断書に改正されていたり、「等」が抜け、事実上、支給対象疾患がせばめられたり、あるいは保険医療機関で鍼灸が自費、あるいは保険診療でそのまま公然と行われるようになっていれば、今の開業鍼灸師の保険取扱いは尚更出来なくなり、遂には保険取扱い者も自費治療の鍼灸師も現状を保つことはできなくなる可能性があった。

 前述したとおり、鍼灸の保険治療は、医師が治療をしても効果のなかった保険対象の6疾患に医師の同意書を添付して取り扱うことになっている。

 一方、保険医療機関での鍼灸治療は現行法上では混合診療の禁止から認められていない。しかし、混合診療の解除の中に鍼灸が含まれ、あるいは特定療養費の中に鍼灸が組み込まれて、鍼灸が保険医療機関で行えれるようになった場合、当然その保険医療機関で鍼灸治療が行われるので医師の同意書は出なくなる。

 その結果、保険医療機関での鍼灸の需要は増えるが、鍼灸の専門家である開業鍼灸師の保険治療は機能しなくなり、患者にとって開業鍼灸師の保険治療は受けられなくなる。このことは鍼灸師の側からみても、鍼灸の技術で競争するのであれば異論はないが、保険医療機関での鍼灸には同意書が必要でなく、鍼灸師の治療には同意書が必要というように制度的な不公平には納得することができない。

 保険医療機関での鍼灸治療は、現行法上できないことになっているので、少なくても鍼灸師の保険取扱いが確立され、同意書あるいは診断書の問題がクリアーされるまでは、あくまで保険医療機関での鍼灸治療は鍼灸専門団体として認めてはならない。

 中原氏がこれらのことについて対応できたのは、鍼灸専門家である鍼灸師の鍼灸を国民のために役立てること、今まで保ってきた鍼灸師の保険取扱いを縮小させては成らないこと、国会議員、厚生省に対して正々堂々と真正面から正論を述べて理解していただいたこと、自らの自己責任を持つことなど、私利私欲のためではなく、国民と鍼灸師のために行ってきたからである。そして自らが身を粉にして動き、時には1週間でも2週間でも東京に泊まり込み、膨大なエネルギーと時間を費やして真正面から戦ったから出来たのである。そのエネルギーの源は、鍼灸師は鍼灸を求めてくる患者をもっと救うべきで、受療し易い制度ができればきっとその数倍も救えるはずであるという、堅い信念と情熱をもって動いたからに他ならない。

 先に記したように鍼灸はめざましい進歩発展を遂げることができた。しかし、一方では鍼灸の専門職である鍼灸師の治療は社会的に疎外され、差別されたままになっている。

 21世紀に向けての日本鍼灸師会は、鍼灸専門団体の責任と使命において鍼灸文化の尊厳と伝統を正しく保つためにこの問題の解決に立ち向かうべきである。そして中原氏が動いた信念と理想をもって結集し、国民のために活動を展開しなければならない。

 晴盲を問わない感染防止の確立、不適応疾患の除外、鍼灸師としての倫理を守る、鍼灸臨床技術を磨く、病態把握と鑑別能力を備える等、基本的に鍼灸師が備えるべき事項をしっかりと身につけ、鍼灸師は自己の能力と技術に責任を持つことである。

 有効・安全性からみても、医療経済性からみても、適応範囲と予防医学面からみても、十分国民に貢献できるこの鍼灸治療を、鍼灸の専門職として自由自在に駆使して国民のために適正に活用できる制度の確立と、鍼灸師の確固とした医療人としての位置付けを確立することこそ日本鍼灸師会の果たすべき役割である。

 それはとりもなおさず『鍼灸専門職としての鍼灸師を国民のために活かすことであり、国民の労働力の再生産に資すると共に国民のQOLの向上に貢献する』ことである。

 創立時の高い理想と情熱を思い起こし、鍼灸専門団体である日本鍼灸師会の責任と使命において鍼灸師法の制定と保険(公費)治療の確立を是非やり遂げねばならない。

 そして、その成否を決するのは偏に鍼灸師の意識と責任感であり、それに向かっての強固な団結である。

 日本鍼灸師会の役員はもちろんのこと、会員一人ひとりが真剣にそれを目指し、実現させなければならない。

(熊崎勝馬記)