けんこう定期便
No.4 スポーツから得たこと、学んだこと
シンクロスイマー 武田美保さん (プロフィールはこちら)
今回は、21年間の競技生活から学ばれたスポーツの楽しさ、おもしろさと健康とのかかわりについて、オリンピックメダリストのシンクロスイマー・武田美保さんにインタビューさせていただきました。
編集部
武田さんはアトランタ、シドニー、アテネ、3回のオリンピックに出場され、銀メダルや銅メダルを獲得されました。シンクロを始められて長い年月がすぎていますが、何が一番良かったですか。
武田さん
形として見えて、わかりやすいのは、「姿勢の良さ」です。それから、シンクロは女性ばかりの世界で、厳しい上下関係もあります。その中で習慣づけられたのが、お礼の手紙を手書きすることです。たとえば、遠征に行くたび関係各所の方々に、すべて手書きで30通ぐらい書きました。
編集部
それは、コーチの井村雅代さんの教えですか。
武田さん
そうです。文字もていねいに書くように教わりました。
編集部
大事なことですね。昨今は、年賀状でも手書きが珍しくなったほどですから。
武田さん
もう徹底的に指導されました。私がシンクロを始めた京都のクラブは同年代が多く、みんな仲間みたいな感じでした。中学生になってから、井村先生のクラブに移籍したら全員年上の先輩でした。私なりに気を遣っていたつもりでしたが、クラブで一緒だったメンバーで先に井村シンクロに移籍していた先輩に、昔のよしみで「何々ちゃん」って言った瞬間、「ちゃんって何!」って言われ、そこから始まりました。
編集部
サッカーや野球など躾教育ができていないとチームの連携ができないということを聞きましたが、シンクロもチーム競技がありますから大事なところですね。厳しくて、いいコーチに恵まれましたね。
武田さん
物心ついたときから世界レベルの指導者との出会いがあったので、これは幸せとしか言いようがないですね。求められるものに「なにくそっ!」と思いながら、それに応えていこうとするだけで、世界基準だったというのは、ありがたかったですね。
編集部
よく「日本代表として日の丸を背負う」といわれますが、初めてのオリンピックのときの感覚はどうでしたか。
武田さん
先輩方がメダルを取っているから、私たちの代でメダルを取れなかったら、日本に帰れないというような意識だけはありました。
編集部
今は現役を引退されていますが、将来はシンクロのコーチをお考えですか。
武田さん
私はシンクロで育ってきたこともあり、シンクロと切り離せない部分がありますが、日本のトップを教えるために必要な資格がいります。今は三重県で子どもたちを対象にシンクロを教えています。子どもたちに教えるのは、すごく楽しいですし、プレーヤーとは違う立場でシンクロを見ることがたいへん勉強になっています。
ただ、子どもたちについて気になることがあります。先日、食事の食べ方を見て気づいたことですが、10人中5人が、野菜を食べられないような状態でした。そのほか食事のマナーにも問題があります。
編集部
食べ物は、すべての基本ですから。食事といえば、現役時代はきびしいカロリーコントロールはされていたのですか。
武田さん
マラソンなどの選手ほどは徹底的ではないですが、トレーニング時期はとにかく脂肪を増やせで、脂質が高くてもいいから高カロリーの食事を摂りました。5,000キロカロリーを目標に食べていました。
編集部
5,000キロカロリーとは、すごいですね。普通の人よりかなり多い数値です。
武田さん
とにかく見た目、見栄えのため、体を大きく見せるために、ある程度の肉類は必要ですし、あとは、欧米の選手に比べると水の中の浮力がないので、脂肪も摂るようにと言われました。
編集部
シンクロの泳ぎとは異なりますが、自由形などの泳力も相当なレベルが必要かと思います。シンクロの選手は100mをどれぐらいのタイムで泳ぐのですか。
武田さん
競泳の練習は毎日3,000mくらいで、それが練習の始まりでした。チーム内で一番速い人は1分1秒で泳げ、インカレにも出られるぐらいでしたが私は1分3秒ぐらいでした。
編集部
現役中は何分くらい潜っていられたのですか。
武田さん
今はわかりませんが、現役中の肺活量は5,000近くあって、何も動かなくて水の中で耐えられるのは4分でした。
編集部
コンディションは軽すぎず、ちょっと疲労があった方がいいといわれますが、現役時代はどんな調整法をされていましたか。
武田さん
鍼灸治療もあります。体のケアにかける時間は限られているので、自分で調整しようと思ってもうまくいかないときは、次の日の練習で変にこわばってしまったり、だるくなってしまうことがあります。
調整して筋肉のこわばりが全部取れた状態ですと、軽すぎて芯がわからなくなったりして、すごくシャープな素早い動きのつもりなのに、油の中で泳いでいるように、素早い動きができなくなってしまうのです。ある程度体の筋肉に芯が残っている状態がよくて、休息を長くとって軽すぎてもいけないのです。そんなときには鍼灸治療で調整することによって比較的短時間で回復しました。
編集部
自分の感覚と、あとでビデオチェックしたときと違うことがあるようですね。
武田さん
自分の感覚がよくてもコーチから「今日はだめ」と言われるのです。なぜだめなのかというのは自分の中ではわからないのですが、ビデオで見てみると確かにシャープさがないというのがわかって、自分の感覚と第三者からの意見が、経験を積むとだんだんすり合わせができてきて感覚がわかるようになりました。
編集部
競技前のメンタルコントロールは、どんな方法でされていたのですか。
武田さん
21年間の現役生活の後半4年間は、競技会場のロケーションや観客の高まりなどが目や耳から全部インプットされているので、実践練習の前に10分ぐらい時間をいただいて、今から私は本番だという疑似体験というか、イメージするだけで脈拍数が上がってきていると感じました。デュエットやチームでは目を閉じて、手をつないで、円になって曲を聞きましたね。このときに、それぞれコーチの指導や日々の練習の中で、演技中にここは強くアピールしたいというポイントがあるのですが、チームとして注意しなければいけないところと一致していると、つないだ手から伝わってくるのです。
編集部
海外遠征には、いろいろな国へ行かれたと思いますが、その中で忘れられない出来事はありますか。
武田さん
すごく印象に残っているのが、高校生のときのフロリダ遠征です。決勝当日、当時で過去最大級のハリケーンがフロリダを直撃し、夕方に上陸という予報が流れました。競技は普通、開門が8時で競技開始が10時なのに、7時には競技開始でした。もう、やっつけ仕事のように決勝に挑み、髪の毛をゼラチンでカチカチに固めたまま車でオークランドまで逃げました。ハリケーンが近づいているから動物も逃げているし、鳥もあわただしく飛んでいました。とにかくすごい体験をしました。
編集部
ニュースや映画で観るような、すごい光景だったでしょうね。ところで、現在、どのような活動をされていますか。
武田さん
先程もお話ししましたが、子どもたちにシンクロを教えているほか、子ども向けの「学校教育キャラバン」という講演も行っています。講演ではいつも「家でいっぱいお話をしましょう」と話しています。
私自身、選手時代は家に帰ってから、練習のこと、感覚のこと、景色のことなど、事細かく全部母に話しました。母は「じゃあ、先生はこう言ったとき、あなたに何秒間、目を合わせた?」とか、「2回目、3回目と怒鳴られたとき、どんな口調だった?」というふうに聞き出してくれました。選手は一語一句、全部覚えています。すごく怒鳴られたときには耳の奥の筋肉がキュッとなって、水がすごく重たく感じたとか…。
練習が終わってすぐに話していますから、ビデオ映像を見ているみたいに頭の中に自分が泳いでいます。客観的に自分を見て、そのときの感触、水の掻き方など、「このやり方は、間違っていたんだ」と、その日のうちに解決することができました。母は、スポーツは何もしていなかったのですが。
編集部
できなかったことをそのままにせず、反省して次につなげるというのは、何事でも大切ですね。お母さんからたくさん教えていただいたことを、ぜひ子供たちに伝えてください。
武田さん
子どもたち向けの教育を大切にしたいと考えていますし、また、タレント的な活動としてテレビ番組出演も続けていきたいと思っています。さらに執筆活動としてダイエットの本を出す予定です。肥満予防や肥満解消、肥満と健康に関する正しい知識を備えるための「肥満予防健康管理士」も取得しましたので、企業向けとして「モチベーションアップ」をテーマにした研修や、講演も多く依頼を受けています。
編集部
武田さんは厳しいトレーニングや競争を勝ち抜き、オリンピックでのメダル獲得という貴重な経験をされていますから、テレビや講演などの依頼が多いのも当然ですね。きょうは長時間、本当にありがとうございました。
(インタビュアー:一見隆彦、新谷有紀、仲野弥和)
武田美保(たけだみほ)さんプロフィール
京都市生まれ。5歳から水泳の名門、京都踏水会にて水泳を始め、7歳からシンクロコースに転向。13歳のときに井村シンクロクラブに移籍。ジュニアの日本代表に入る。17歳でナショナルA代表入り。1997年より立花美哉選手とデュエットを組み、その後日本選手権7連覇を果たした。2001年世界水泳福岡大会ではデュエット、金メダル。アトランタ、シドニー、アテネの3つのオリンピックで、銀・銅・合わせて五つのメダルを獲得。(日本人個人が持つメダル数ではデュエットパートナー・立花選手とならび、歴代1位)引退後、シンクロ解説やCMへの出演、シンクロを用いたショーにも積極的に参加し、健康管理や美容をテーマにした講演・執筆など、全国各地で活動している。三重県在住。