1. HOME
  2. 鍼灸を知る
  3. けんこう定期便
  4. No.13 スポーツとバイオメカニクス ~オリンピックから“くしゃみ”まで

けんこう定期便

Health News

けんこう定期便

No.13 スポーツとバイオメカニクス ~オリンピックから“くしゃみ”まで

中京大学スポーツ科学部 湯浅景元先生 (プロフィールはこちら)

バイオメカニクスは、“力”と“動き”の特徴を明らかにする学問――扱う分野は、オリンピックのようなトップアスリートの動きのみならず、“くしゃみ”といった日常の動きまで、とても幅広いそうです。学問と聞くと、ずいぶん堅苦しい感じを受けてしまいますが、さすがは湯浅先生。名調子とわかりやすいたとえで、知らず知らずのうちに言葉が頭の中に入ってきます。ちょっとアカデミックな内容も、最後までお読みいただければ、知識欲が満たされること間違いなし。それでは、“湯浅ワールド”へどうぞ!

バイオメカニクスでわかること

まずは準備運動から始めましょうか。バイオメカニクスを、少し変わった事例で紹介します。バイオメカニクスで、一体何がわかるのか?こんなことまでわかってしまうと聞けば、ちょっとは興味を持ってもらえるかな?「何か楽しそう」「面白そう」と思ってもらえたら・・・うれしいですね。
絵に閉じ込められた“動き”を見る
10年ほど前でしょうか・・・仏像とか絵画モデルとか、スポーツ以外の動作解析を頼まれるようになりました。面白いところでは、歌舞伎。それから能や落語など、日本の伝統芸能にも今、解析の手が入っています。今度はNHKを通してプラダ美術館の有名なある絵のモデルのポーズを解析してほしいと依頼を受けました。で、どうしたか?プラダの代表的な絵に「この足はあり得ない」「この形はおかしい」と言わせてもらいました(笑)。館員の方曰く「これまで歴史上いろんな方がこの絵の評価をしているけど、誰もそんなことを言わなかった」と。しかし、あり得ないものは・・・あり得ない。みなさんぜひ、機会があれば絵画のモデルを見てみてください。まったくおかしな動きをしているのがほとんどですから。
楽という“感覚”を“数値”へと換える
次は、医療的な話をひとつ。患者さんをベッドから抱き起こすときの動きです。慣れない人は、患者さんを起こすとき、指先だけで持ち上げようとしてしまう。それが慣れてくると、手のひら全体を使って抱き起こす。手の面積を広げれば広げるほど、患者さんにかかる、体感する力はぐっと小さくなってきます。楽に感じるわけですね。だから、慣れた人に看護されたいと願うわけです、患者さんは(笑)。
この「抱き起す時間」と「患者さんの方が気持ちいいかよくないか」の関係――調べた方がいらっしゃった。およそ3秒かけて抱き起すのが、一番楽に感じるらしいんです。それより早くても遅くても、ちょっと苦痛を感じると。「体を使うときに時間をどれだけかけたらいいのか」「力をどの程度分散したらいいのか」まさにバイオメカニクスの世界です。

バイオメカニクスの基本

あれもこれもと欲ばっては、聞かれる方は大変かと思います。話すのも、案外大変なんですけどね(笑)。それでは、バイオメカニクスの基本についてです。スポーツやトレーニングの風景など、思い描いていただけるような話を織り交ぜながら、つないでいけたらと思います。
リンゴとバイオメカニクスの“深い”関係
「生理学」「解剖学」「力学」――この3つがバイオメカニクスを学ぶときの代表的な学問です。ただ、こうした知識を総合的に扱いながらも、中心は「力学」、具体的には「ニュートン力学」になります。そう、「リンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見した」で有名な、あのニュートンの名が付けられた古典力学です。
力学と言えば難しそうですが、頭に「ニュートン」と付いているだけで、ちょっと親しみやすく聞こえませんか?代表的な法則が3つあるニュートン力学。その3つを解説してみましょう。
おかげで力が要らなくなる?~慣性の法則
最初は「慣性の法則」。イスに座っていたら、いつまでもその状態を保とうとか、一度動いたら、いつまでも動き続けようとか――他から力が加わらない限り、一つの状態を維持しようとすることを「慣性」と言います。これ、案外“曲者”で、トレーニングのときに苦労するんですね。短距離走の選手が足のトレーニングをするとき、何を始めるかと思いますか?バーベルを使って運動を始めるわけです。
動き始めにすごい力が要る割に、いったん動いてしまったら、慣性のおかげで力がほとんど要らなくなってしまう。そして最後、止まる時には力が必要になるけど、肝心なその途中、つまり走っている時には十分な力が入り込まないから・・・慣性からすると、実に困ったトレーニング方法なのです。
「動きにくい」と「動きやすい」を考える~運動の法則
バイオメカニクスを考えるとき、もっとも大事な法則だと言われるのが、この「運動の法則」です。ものすごく体重の軽い人と重い人がいて、同じ力で押したとします。軽い人は、バーンと動いちゃいますけど、重い人は、そうはいきません。同じ力で押したら、重い人の「加速度」、つまり動く速さはそんなに速くできません。同じ力で押したときに、重い人は加速度が小さい。反対に軽い人は、加速度が大きい。普段の言葉を使うと「動きにくい」とか「動きやすい」になりますね。
患者さんを抱き起すときを考えてみましょう。同じ速さで抱き起そうとするとき、軽い人の場合には、楽な力でいい。重ければうんと力が要る。今度は、歳とともにみなさん、力が無くなってきたと想像してみてください。力が無くなってきたけど、患者さんの体重は変わらないとすると・・・起こす速さはだんだん遅くなってしまう。「運動の法則」を日常で実感できる一例です。
反対意見を言ったら・・・同じだけ返された?~作用・反作用
最後は「作用・反作用」という法則です。陸上でよく「地面を蹴る」と言いますが、蹴ると、蹴った反対の方向に同じ力が掛かります。だから、私たちは地球の上で跳ねたり走ったりできるわけです。みなさんが今、イスに座っているとします。イスに体重が掛かっている時、イスからもみなさんに力が加わっているんです。知らないうちに「お尻がしびれてきた」と感じる理由もそこにあります。こんなふうに何かに力を加えると、まったく反対の方向に同じだけの力が返ってくる――これが「作用・反作用」です。
人生も、まさに「作用・反作用」。誰かの意見に反対意見を言うと、バーンともろに返ってくること、ありますよね?ところが、さらりと流せばそれで終わってしまう。何かに強く当たれば強く戻ってくる・・・これって「作用・反作用」そのものじゃないですか(笑)。

バイオメカニクスが目指すところ

少し学生気分に浸れたんじゃないですか(笑)。こうしたバイオメカニクスは、今、いろいろな分野の学問と結びついて、さまざまな可能性を見せてくれています。スポーツ・トレーナーの世界で言えば、「指導者のいない指導」なんて、禅問答のような話があります。一方で日常の世界に目を向けると、介護の手助けや正しい姿勢での治療など、文字どおり“理に適った”動きを見つけ出していく――これもバイオメカニクスが目指す、一つの方向だと考えています。
理屈を知らなくても、スポーツ指導ができる時代
「姿勢」と「動作」を解説される湯浅先生長野オリンピックから、スキーのジャンプ選手のフォームを考える仕事に携わってきました。これも、バイオメカニクスなんです。空中を飛ぶとき、まっすぐな姿勢の人はいなくて、やや前のめりに、なるべく前を短くして、後ろを伸ばそうとする。よく見ると、空気の流れる距離を「短くさせる」「長くさせる」という理論なんです。これならスキー自体の理屈を知らなくても、指導ができるわけです。今まではスキー選手の経験があって、その経験を生かして指導者というながれでしたけど、今は理論から指導に入れる――そんな時代になってきました。

もっと言ってしまうと、これまでの指導は、手足の感触によるものがほとんどだったんです。脳を介さなくて、筋感覚から教えてあげようとしていた。だから「手取り足取り」という言葉があったわけです。フォームはすぐに真似ができる。ところが、力の入れ具合はほとんどわかりません。どこで力を入れ、どこで抜いているか――こうした「感覚」は、見ただけではわからない。だからこそ、バイオメカニクス。いろんな動きを入れながらも、バイオメカニクスで得られる「感覚」を、脳から筋肉の方へ伝える。そして、バイオメカニクスを駆使して「指導者のいない指導法」を見つけていこう――そんなことを考えています。
正しい姿勢を科学的に見つけ出す
先生方が治療する際です。その治療する姿は、かなり解析されているんでしょうか?その「作業の姿勢」、バイオメカニクスでは、かなり研究が進んでいます。さらに職業としての動作を集めていきながら、なるべくその人に合った動作を指導できないかということも、今、進めています。
例えば自動車工場の場合です。ほとんど自動化されていますが、肝心なところは人間が動きます。その場面で「もっとも怪我の少ない、力の要らない動作を見つけてくれ」という研究なんか、そうですね。これと同じで、先生方ご自身の作業姿勢を解析するのは、大事かもしれませんよ。ごく普通のビデオカメラがあれば、始められることですから・・・そういう解析を、どんどんなさるといいと思います。

バイオメカニクスに足りないもの

ここまで話してくると、万能のように聞こえるバイオメカニクス。ただ、動きの結果はわかるけど、なぜそういう動きになったのかを知ることはできません。それを、うまく補ってくれそうなのが“視覚”からの情報です。今、注目している認知心理学の「アフォーダンス」理論――この理論に、少し触れてみたいと思います。
人は、見た風景を頭の中で計算している
プロ野球の斉藤佑樹選手がボールを投げたとします――関節がどう動いたか。どのくらいの速さだったか。ボールはどんなふうに動いていったか――という結果はわかります。ところが「なぜその動きをしたか」バイオメカニクスからは一切わかりません。これがバイオメカニクスの限界です。そこにヒントを与えてくれたのが、「アフォーダンス」という概念でした。
「あなたは、この棒をまたげますか?」
人間は無限の動きができるはずなのに、わざわざ1つを選ぶ――その理由が、今までわからなかったんです。5mほど離れたところに壁があると思ってください。その壁には横棒が引いてある。その棒を見て、「この棒だったら、たぶんまたげるな」とか、「またげないな」と判断してもらう。「またげる」「またげない」を答えてもらうだけなんですが・・・面白いことに、股下の0.88倍よりも高くなると、100人中ほぼ100人が「またげない」と言います。それよりちょっと低いと「またげる」と。実は計算しているんですね、見た風景を脳の中で。この「風景によって動きを決定しているんじゃないか」というのが、「アフォーダンス」の概念です。
「あなたは、この戸口をまっすぐ通れますか?」
もう一つ。目の前に戸口があるとします。そこを通る時に、十分な幅があれば、まっすぐ行きますよね。サササッと。そこで、その幅を狭くしていくんです、どんどんと。ある幅になると、いきなり多くの人が、横に半身をひねってくる。当たらないように。これもまた測ってみると・・・興味深い結果がわかる。肩幅の1.3倍より広いと100人が100人、まっすぐ行くけれど、1.3倍より狭くなってくると、ほとんどの人が体をねじって通るようになる。これも「アフォーダンス」によるものです。

バイオメカニクスのこれから

スポーツの世界でも、「国産」「日本製」を見直すことが大切かもしれない――バイオメカニクスを通して、「日本人に合った」を考えさせられます。それは、突き詰めていくと・・・「自分に合った」につながっていくような気がしています。

理動きを見切った純国産のシューズ
「足が地面に着いて蹴る」までの短距離選手の動きを考えます。日本の選手は、足首をかなり使います。膝も使います。日本人は膝と足首を使って走ってしまう。世界のトップランナーはどうか。足首をほとんど動かしません。バイオメカニクスで、こういうこともわかってきた――日本人選手 と海外選手とで体の使い方がまるで違うと。
それなのに日本でスポーツをやる人の多くは、海外の選手に合わせて作られた靴を履いているんです。動きが違うんだから、これじゃダメだ。日本人特有の動きにあった靴やユニフォーム――こういうものを、これからは考えていかなきゃいけない。ちょうど今、フィギュアスケートの小塚崇彦選手と「日本人に合ったスケートシューズを作ろう!」と、研究を重ねているところです。
斉藤佑樹選手を見たら思い出してほしい
最後にもう一度、斉藤佑樹選手の登場です。彼、ダルビッシュ選手――ダルビッシュってわかりますよね?今年から大リーグに挑戦する、やたら背の高いピッチャーです(笑)――に憧れているのか、投げ方を真似したいと言って・・・もうおわかりかと思いますが、バイオメカニクスの視点から、これには反対するわけです。骨格も違う、腕も足の長さの比率も違う。こういう人がフォームだけ真似するというのは、危険性が高まるだけです。斉藤佑樹選手には彼の体格にあったフォームを考えていかないといけない。これは選手を指導するときに、一番苦労するところでもあります。
いい選手が現れると、そのフォームを真似させてあげたい。だけど、必ずしもそうはいかないことが多い――それを、バイオメカニクスなら、選手達にうまく説明できる。スポーツを見たり、楽しんだり。イスに座ったり、立ち上がったり・・・人間の体の動きは、バイオメカニクスによって、いろいろと解析されてきています。日々の生活の中で、今日お話ししたバイオメカニクスのことを思い出していただけると感激です(笑)。今日はどうもありがとうございました。

湯浅景元(ゆあさかげもと)先生プロフィール

中京大学体育学部卒業。中京大学スポーツ科学部教授。医学博士・体育学修士。東京医科大学客員講師、オーストラリア・グリフィス大学高等研究員などを歴任し、現在、名古屋市教育スポーツ振興事業団評議員等。NHKスペシャル、NHK今日の健康などのテレビ出演等で健康づくりの普及につとめる。現在、フィギュアスケートの安藤、浅田、小塚の各選手の教育にもあたっており、著書には「老いない体をつくる」(平凡社新書)など多数。