日本鍼灸師会50年の歩み その2
目次
- 1 日鍼会50周年記念誌 日本鍼灸師会50年の歩み その2
- 1.1 日本鍼灸師会の足跡
- 1.2 厚生省後援の第1回鍼灸学術講習会:
- 1.3 二代会長に元厚生大臣、相川勝六先生を推戴:
- 1.4 日本鍼灸新報第1号を発行:
- 1.5 日鍼会の門標とポスターを作成:
- 1.6 相川勝六会長から花田伝会長へ:
- 1.7 会立 日本中央鍼灸専門学校の設立:
- 1.8 東京大学に鍼灸の研究を委託:
- 1.9 保険獲得期成同盟:
- 1.10 花田会長から岡部素道会長へ:
- 1.11 日本保険鍼灸マ師会結成:
- 1.12 鍼灸単独法と教育年限延長を陳情:
- 1.13 第1回国際鍼灸学会の開催:
- 1.14 本会の鍼灸研究に対して厚生科学研究補助金交付される:
- 1.15 本会の鍼灸研究に対して厚生科学研究補助金交付される:
- 1.16 鍼灸の保険取扱いに関して初めて具体的な内容の保険局長通知が出される:
- 1.17 岡部会長から木下晴都会長へ:
- 1.18 はり麻酔世界に発信:
- 1.19 鍼灸独自の料金算定が確立:
- 1.20 信用保証協会の信用保証:
- 1.21 生活保護法の医療扶助:
- 1.22 日本経穴委員会の発足:
日鍼会50周年記念誌 日本鍼灸師会50年の歩み その2
日本鍼灸師会の足跡
昭和25年11月30日に本会を設立、26年3月に日本鍼灸師会会報第1号を発行、5月には社団法人許可、10月には基本方針の一つである鍼灸の科学化をめざして日本鍼灸治療学会を立ち上げ、10月20日~21日の両日、慶応大学医学部講堂で第1回治療学会を開催した。
この日本鍼灸治療学会については、別稿で相馬悦孝氏が執筆されているのでご参照いただきたい。
厚生省後援の第1回鍼灸学術講習会:
この厚生省後援の鍼灸学術講習会は、医師と鍼灸師を講師として招き、医師にはその時々の医学の最新情報を講義していただき、鍼灸師には鍼灸に関する臨床面での講義をしていただくことにより鍼灸師の資質の向上を図ることを目的としたものである。
平成12年5月の現在まで、48年数ヶ月間毎月1回も欠かさず開催して通算581回にも及んでいることは本会の誇りである。この厚生省後援の学術講習会のことについては稿を改め加島郁雄氏が別に執筆されているのでご参照いただきたい。
二代会長に元厚生大臣、相川勝六先生を推戴:
日本鍼灸新報第1号を発行:
日鍼会の門標とポスターを作成:
相川勝六会長から花田伝会長へ:
会立 日本中央鍼灸専門学校の設立:
東京大学に鍼灸の研究を委託:
昭和33年4月には、その成果の一部として、鍼灸施術が正常ラットと脳下垂体を摘出した場合との比較研究結果が温泉気候学会に発表され、日本鍼灸治療学会誌(第7巻第号)にも報告された。昭和34年も引き続き鍼灸の研究を委託し、35年には東大医学部の中に鍼灸研究会が発足され鍼灸に関する研究がされるようになった。また、37年5月からは東大物療内科と本会とが喘息に関する共同研究を開始し、38年11月からは現代医学的立場から鍼灸の研究を東大で開始された。尚、東大での委託研究は昭和44年度までの12年間続けられた。
保険獲得期成同盟:
この決定に基づき、2月25日、衆議院会館にて保険取扱推進全国業者大会が開催され、日本保険獲得期成同盟(略称、日鍼保険同盟)の発足を決定し、名誉委員長に小守義勝氏、委員長に花田伝氏、副委員長に岡部素道氏、渡辺政一氏を選出し、大会宣言及び、柔道整復師の保険取扱いと同じような行政措置を実現する運動方針を決定した。
花田会長から岡部素道会長へ:
日本保険鍼灸マ師会結成:
なお、当日は更に、日鍼会、全鍼連、日保会の3団体が相互に連携して全業者一丸となって、今後解決すべき諸懸案に対処するための連合体として、全国鍼灸マッサージ師会連盟を結成して、会長に小守義勝氏を選出し、次期参議院選挙の全国区に業界代表候補者として花田伝氏を推薦、一致協力し当選を期することを決定した。
尚、昭和34年に実施された参議院選挙に、業界は全力を挙げて花田伝氏を応援したが残念ながら一歩及ばず惜敗した。
鍼灸単独法と教育年限延長を陳情:
内容としては、鍼灸と他業種を切り離すこと、及び鍼灸師の教育年限を3年制とし、1年程度のインターン制を設けて資質の向上を図ることが主な内容であった。
第1回国際鍼灸学会の開催:
特別講演は、金沢大学教授の石川太刀雄先生の「内臓体壁反射」、東京大学教授大島良雄先生の「鍼灸治療における診断の自動化に関する研究」の2題で、外国人招待講演も21題あった。3日間の参加者は、外国から100名、国内から700名の合計800名で、その他、名古屋、大阪、神戸でも分科会が開催され、延べ1,300名がこの分科会に参加した。日鍼会が総力を結集して開催した第1回国際鍼灸学会は大成功を収めた。
一方、国際鍼灸学会開催に関連し、経絡経穴の部位、及び経穴名の国内外の統一を行うため、昭和40年4月に第1回国際経絡経穴委員会を開催し、統一のための基本事項を決定した。また、日本鍼灸治療学会に日本経穴委員会を設置し、その後の経絡経穴問題を検討することになった。なお、この国際鍼灸学会や国際交流のことについては、井上慶山氏が別稿で執筆されているのでご参照いただきたい。
本会の鍼灸研究に対して厚生科学研究補助金交付される:
本会の鍼灸研究に対して厚生科学研究補助金交付される:
この通達の意義は非常に大きく、日鍼会、日保会、全鍼連の協力体制と日鍼会名誉会長の相川勝六先生をはじめ、中野四郎、中山マサ、大坪保雄先生等、各議員の強力なご支援並びに厚生省の熊崎保険局長等のご理解により達成できたものである。
この局長通達によって、今までは内簡、書簡でしか示達されなかった鍼灸の保険取扱いが、日陰者から表街道に出ることができたのである。この意味からこの通達は同意書問題その他に十分目的を達せられなかった面もあったが、厚生省が鍼灸の保険取扱いを通達で正式に認めた最初のものとして極めて意義深いものである。
鍼灸の保険取扱いに関して初めて具体的な内容の保険局長通知が出される:
この通達の意義は非常に大きく、日鍼会、日保会、全鍼連の協力体制と日鍼会名誉会長の相川勝六先生をはじめ、中野四郎、中山マサ、大坪保雄先生等、各議員の強力なご支援並びに厚生省の熊崎保険局長等のご理解により達成できたものである。
この局長通達によって、今までは内簡、書簡でしか示達されなかった鍼灸の保険取扱いが、日陰者から表街道に出ることができたのである。この意味からこの通達は同意書問題その他に十分目的を達せられなかった面もあったが、厚生省が鍼灸の保険取扱いを通達で正式に認めた最初のものとして極めて意義深いものである。
岡部会長から木下晴都会長へ:
木下会長はまず会務を円滑に運営するために会務運営規則を作り、理事の役割分担と責任を明確にした。さらに法人として常備すべき全国会員名簿を整備し発行した。
はり麻酔世界に発信:
日本でも新聞、週刊誌、TVなどが次々と鍼灸治療や鍼麻酔の記事を報道し、多くの医学者や国民にも鍼への関心を高め、いわゆる鍼ブームを巻き起こした。
鍼灸独自の料金算定が確立:
昭和47年2月28日、保険発第22号厚生省保険局医療課長通知により、3月1日から施術料金が改められ、今までマッサージ点数に関連していたものを打破して鍼灸独自の算定が出来たことにより施術料金が一挙3倍になり、また初回加算の新設とともに施術回数も6ケ月65回まで認められることになった。